HISTORY
創業から110年余を経た今、私たちは次なる一歩を踏み出そうとしています。大正、昭和、平成、令和へと時代ごとに大きな社会の変化がありましたが、そのつど私たちは働く人に寄り添い、私たちにできることを模索しながらモノ作りを続けてきました。大正時代に発売したアサヒリント布や、昭和時代に大ヒットとなったプリーツ付きツナギ服はその代表的な商品です。長年積み上げてきた技術と信頼をさらに強固なものにしながら、変化すべきことを見つめ直し、新しい時代にふさわしいモノ作りで働く人を応援します。
大阪の地で創業し
卸売業から製造販売業へ
■創業者山上嘉蔵が、丁稚奉公先である綿布商大浦商店より商圏を譲り受け、大阪市南区にて山上合名会社を創業
■創業者の体験から「アサヒリント布」を製造
アサヒ産業のルーツは、浴衣や手拭いに用いる河内木綿の卸売業にあります。現社長の祖父にあたる山上嘉蔵は、13歳の頃から「大浦商店」に丁稚奉公をしていました。当時としては珍しく尋常高等小学校まで進学し、就寝前の読書を欠かさないなど、勉強熱心だったことを当主に見込まれ、事業を引き継ぐことになりました。22歳になった大正元年に綿布卸商「山上合名会社」を創業しました。
持病のあった嘉蔵は療養のために湿布を使っていましたが、当時のものは非常に使い勝手が悪かったのです。そこで河内木綿を重ね起毛した乾きにくい湿布を発明し、「アサヒリント布」として販売したところ大ヒット。卸売業から製造販売業へと舵を切ることになりました。1934年の日中事変の際に、警防団服の製造と販売を手がけるようになり縫製工場を新設。戦時下にも関わらず、嘉蔵のもとには人と物資が集まりました。
主力品を変えながら
高度経済成長の波に乗る
■日中事変の進展
■縫製工場の新設し警防団服の製造・販売を兼業
■第二次世界大戦の終戦
終戦による混乱の中、消防服・消防団服を製造販売する機会を得て、西日本全体に商圏を拡大していきました。2代目山上平八郎はこれまでのノウハウを活かし、衛生白衣の製造販売を開始し、社名をアサヒ白衣(株)に変更。1964年に始まったベトナム戦争下、アメリカ軍が物資調達を日本で行っていました。商社からポンチョ製造の競争入札の話があり、ロスが少なくコストを抑えた作り方を提案し受託にいたりました。
ベトナム戦争が終息に向かうにつれて、国内で作業服・白衣の製造に回帰しようと思案。そこで上下の作業服・白衣は老舗メーカーが多く競争も激しいが、ツナギ服は一定の需要がありながら競合他社が少ないことに目を付けました。アメリカ軍が撤退した1973年に現在の社名に変更し、ツナギ服を主力製品に。当時の人気バンドがステージ衣装にツナギ服を着用したことで、一般層にも認知されたことも人気を後押ししました。
プリーツ付きツナギ服の成功と
海外生産で量産体制を確立
■ベトナム戦争勃発
■アサヒ白衣(株)に社名変更
■組織変更をし、衛生白衣、作業服の製造販売を開始
■ベトナム戦争の終結
■高度経済成長とオイルショック
■プリーツ入りツナギ服の開発と実用新案取得
■人気バンドによるツナギ服ブーム
1978年、当時のツナギ服は胴長・短足で動きにくかったことから、屈曲する腰部にプリーツを付けたツナギ服で実用新案権を取得。また、限られた種類の色しかなかったので、カラフルなツナギ服も展開。プリーツ付きツナギ服がヒットし、全国的に営業を広げました。それまでは台湾と返還前の沖縄で生産していましたが、国内10ヶ所の工場と提携し生産体制を構築。同年、大阪市東区に社屋購入しました。
日本の大手製造業が次々と海外に生産を移し、同業他社も次々と海外へ進出。ツナギ服しか販売していなかった私たちは、直接顧客の需要を聞き取り、それを解決するためのデザインや機能を盛り込んで、それぞれの顧客に向けた商品を提供していきました。80年代半ばから、中小規模の国内工場が廃業していく方向にあったので、1985年に中国の工場と提携し、90年に香港の会社とタイアップし中国広東省で量産を開始。95年に合弁会社へと発展させました。
バブル崩壊による苦境を
乗り越え次なる100年へ
■バブルの崩壊
■産業の海外流出
■香港での合弁会社設立
■子会社の中国広東省の生産性向上で量産体制の整備
■香港合弁会社解消と、中国遼寧省に提携工場確立
■創業100周年
90年代初頭のバブル崩壊によって、右肩上がりだったこの業界全体に大きな影響を与えました。厳しい経営状況が続く中、私たちは価格競争に巻き込まれることを避け、高品位な商品にこだわり続け、直取引によるオーダーメイド品を増やしながら売上を伸長。私たちの製品を高く評価してくれる顧客と、モノ作りを一緒にしてくれるパートナー企業に恵まれたことでこの難局を乗り越えました。
2012年に100周年を迎え、16年には大阪市天王寺区に勝山デポを新設、18年には大阪市中央区に新社屋完成させました。オーダーメイド品と並行させながら、今まで培ってきたノウハウを活かした既製品ブランドAGRADEを2021年に発足。繊維業界の高齢化や人口減など新たな課題が迫る中、さまざまな新規プロジェクトや外部企業との取り組みを増やしながら、さらなる飛躍を目指します。
100年をともに。
これまでもこれからも。
私たちには何代にも渡って提携しているパートナー会社が多数あります。中には100年近いお付き合いが続いている企業もあるほどです。難易度の高い縫製や加工であっても、共に考え手を動かしながら製品化まで熱心に取り組んでいただいています。そうして成功や失敗を共有しながら、長年積み重ねてきた現場の職人たちの技術が、私たちの製品に息づいているのです。